初めての方へ

「りんどう国際事務所」のHPに来てくださり、ありがとうございます。

多くの方に「なぜ、“りんどう”にしたの?」と言われます。

それは父が最も愛した花だったからです。

私の父は新潟県の山奥に生まれました。戦前の電気もガスもない田舎の農家です。男ばかり5人の真ん中。幼少期から大変利発でみんなを笑わせる、気の利く人だったと父を知る人は口をそろえます。

しかし、どんなに勉強ができても、当時の田舎の農家で、ましてや三男坊を上の学校にやることはできません。多くの同級生と同じように、「金の卵」として上京、16歳で大工になりました。

いろいろなことがあったのでしょう。私が気づいたときには、私の身内は父だけでした。でも、父と二人の生活はとても楽しいものでした。父は不器用なりにおいしいおにぎりを作ってくれ、なにより楽しい話を毎日してくれました。私の知的好奇心を多いに刺激し、また、それは同時に父が果たせなかった学問への夢を娘に託しているようでした。

そんな日はあっという間に暗転します。私が14歳の冬、父は作業中にはしごから落ち、2週間後に亡くなりました。49歳でした。

私は周囲の大人が言っているのを耳にしました。「なんでお金をもらわないのか?1000日分もらえるのでは」。

私は市役所に制服姿で行きました。「お金ください!」。そんな女の子に職員は戸惑っていました。「おじょうちゃん、こういうときは“ロウドウキジュンカントクショ”っていうところに行くんですよ」

私はそのカントクショに行き、また言いました。「お金ください!」。カントクショの人はびっくりしながらも調べてくれました。「ああ、これか、、」。そしてその監督官は言ったのです。「あなたのお父さんの会社の人に調べました。これでは労災はおりません」。泣きじゃくりながら抗議しましたが、行政の結果が変わるわけもありません。

市役所で遺族年金をもらおうとしましたが、納めていた期間が1か月足りず、私の手元にはほんの少しの死亡一時金が出ただけした。

父の勤務していた会社のしたことが、いわゆる“労災かくし”なのか、今となっては訴えるすべもありません。

しかし、子供の私は思ったのです。「こんなことあってはいけない」

2017年、念願の社労士登録をし、周囲のご尽力のおかげで事務所まで構えることができました。

労働法も心理学も英語も。「知識は力」です。差別、理不尽、嘆きをこの社会から蹴散らすことができます。

子供時代に子供らしいことをできなかった、そんな自分のような人間を一人でも減らしたい。その思いで走り続けています。

優しく、賢かった父の思いを込めた事務所です。どうぞよろしくお願いいたします。

中條幸子

 

 

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